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2010年  2月28日 稲嶺進名護市長にインタビュー
以下は、2010.2.19付けの週間金曜日に掲載された、稲嶺進名護市長へのインタビュー記事です。聞き手は十区の会の共同代表の浦島悦子さんです。
稲嶺進名護市長就任インタビュー
「名護のティーダになれよ」
−二月八日就任おめでとうございます。市長選で訴えてこられた基地問題や市政刷新に名護市民の大きな期待がかかっています。昨年三月の出馬表明以降の選挙戦を通じて、これでやれる、と手応えを感じたのはいつ頃ですか?
 最初、九人の市議(保守系および中道派)で出発した時は、前市長のV字形沿岸案受入の不透明性、内政での不公平、不公正などを正そうということになったのですが、次第に、普天間移設そのものの位置づけをはっきりしないと市民に伝わらない。相手候補と何が違うかを明確にしないと市民は納得しないし、新政権にも伝わらないと感じるようになった。

 変化が起きたのは、革新系市議や労組・市民団体で作る「刷新会議(稲垣ススムさんと共に名護市政を刷新する市民会議)」が発足し、さらに共産党が独自候補として推そうとしていた比嘉靖氏との話し合いで一本化が決まった後ですね。波というか、うねりのようなものを感じた。あの頃(一一月)が境目だったような気がします。
−稲嶺さんの本心が基地反対であることは私も信じていましたが、率直に言って、当初は、みんなが納得するほど明確ではなかった。はっきり「ノー」と打ち出すきっかけになったものは何ですか?
 最初にそれを言葉や文字にして約束したのは、辺野古のおじぃ、おばぁたちの前でした。子や孫たちのために、老体に鞭打って二〇〇〇日以上も座り込んでいる姿を目の当たりにして決断を迫られ、「辺野古、大浦湾の海に基地は造らせません」と色紙に書いたとき、私の心がしっかり定まった。嘉陽のおじぃ(辺野古の嘉陽宗義氏)から「ススム、ティーダヤ マーカラアガイガ(太陽はどこから上がるか)?」と聞かれて「アガリカラ ヤイビーン(東からです)」と答え、「名護のティーダになれよ」と激励されたことは、私の大きな支えになりました(注・辺野古も稲嶺氏の出身地も名護市東海岸に位置する)。
−早速、市議会で「辺野古移設反対」決議をあげたいとおっしゃっていますが、市議団の「足並みの乱れ」を懸念する声もあります。
 私は心配していません。与党とか野党とかいう不毛な議論ではなく、一つひとつの議案が市民にとって是なのか非なのかを議論すればいい。市民の常識が役所や議員の非常識であってはならない。
−稲嶺さんの言われる「市民の目線」ですね。それにしても、基地問題に関する日米両政府の厚い壁、これまでに溜まった膿や歪みをどう正していくかなど問題は山積しています。就任してまず手がけたいのは何ですか。
 「市民の目線」を市長だけでなく役所全体が持つために職員と徹底して話し合い、役所は変わったと市民が言えるようにしたい。前市長が二人制にした副市長を一人に戻し、基地対策アドバイザーを廃止する。基地を拒否するのだからアドバイザーはいりません(笑)。それによって四年間で一億円余りの経費を削減できる。それを教育や福祉予算にまわす。
−これまでの基地がらみの振興策ではハコモノばかりがたくさん作られてきました。現政権は基地と絡まない振興策を打ち出し実際に予算も計上されていますが、それをどう使うおつもりですか。
 かつて名護のメイン産業は第一次産業、農業でした。それが九〇億以上から六〇億円を切るまでに生産力が落ちている。それを回復するだけでも相当の市民所得の向上になる。そのための機構強化や農業のニーズも聞き、まずは農業部門に対する行政の手当て。次には子育て部門ですね。保育所待機児童の解消などで若い夫婦が働きやすい環境を作りたい。
−「基地ノー」の民意が市長選に現れたのは確かですが、市長がそれを拒否する法的根拠はありません。もし鳩山政権が移設先を辺野古に決めた場合はどうしますか。
 法的根拠がないのはそのとおりです。その時には、辺野古のおじぃ、おばぁと同じことをするまでですよ(笑)。
二月一日、講演会事務所にて
みなさん! 10区の会がめげないよう、 応援をおねがいします。
郵便振替 01730-9-9673 ヘリ基地いらない二見以北10区の会