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2010年  1月31日 名護市長選勝利で十区共同代表が思いを語る
名護の夜明けが到来した
ヘリ基地いらない二見以北十区の会 共同代表 浦島悦子
 名護の夜明けが到来した−。そう実感させた稲嶺進氏の当選だった。24日に投開票された名護市長選挙で、辺野古への新基地建設反対・市政刷新を掲げる新人の稲嶺進氏が、辺野古移設=V字形沿岸案を受け入れた現職・島袋吉和氏を1588票差で破って勝利(投票総数3万4552。投票率76.96%)。24年間の保守市政を転換し、新たな歴史の一頁を開いた。

 1997年、名護市民投票で示された「基地ノー」の民意を「この選挙でもう一度示そう」と選挙戦で訴えた稲嶺氏は、当選の第一声で「市民投票と(その後3回の)市長選と、名護には2つの民意があると言われてきたが、それが今日一つになった!」と高らかに宣言。「辺野古・大浦湾の海に基地は作らせないという公約を、信念を持って貫く」と表明すると、詰めかけた支持者から割れんばかりの拍手と歓声が湧いた。

 今回の選挙ほど、名護市の「光と闇」がくっきりと浮き彫りになった選挙はなかったと思う。保革ではなく、基地の利権がうごめく闇の世界と、「公平・公正で、すべての市民に光の当る市政」との熾烈なたたかい。そしてついに、光が闇に勝ったのだ!

 前回の選挙でも、期日前投票制度を悪用した島袋陣営による組織的な企業動員が目立ち、投票者数の30%を超える不在者投票(9588票)が注目を集めたが、今回、島袋陣営の選対本部長を務めた比嘉鉄也・元名護市長は15日に行った総決起大会で「不在者投票1万票獲得!」の檄を飛ばし、その陣頭指揮を執った。

 告示の翌日、名護市選挙管理委員会前に設けられた期日前投票所には初日から連日、朝の8時半から夜8時まで車の列が引きも切らず、順番待ちの長蛇の列ができた。投票数はうなぎ登りに増え、最終日の23日は何と2947票。6日間の合計は1万4239票と、前回の1.5倍にも達した。期日前投票の監視行動を続けた「不正投票監視団」によると、企業名を明記したマイクロバスから降りてきた作業服姿の人たちを並ばせ、ボードを持った人が一人ずつチェックして投票所に送り込む様子や、「わ」ナンバー(レンタカー)や同じ車が何度も車椅子の人たちを送迎しているのを目撃したという。

 一方、平成維新の会などの右翼団体が告示の日に名護市内で合同の集会とデモ行進を行い、幸福実現党は選挙期間中、稲嶺陣営のシンボルカラーと同じ青をあしらった宣伝カーやステッカーで「辺野古移設賛成!日米同盟堅持!」などと宣伝。「稲嶺ススムにだまされるな!」「(普天間基地が県外移設されれば)沖縄はシナの植民地になる」等の読むに耐えない怪文書も出回った。また、稲嶺氏を支持する企業経営者や保守系市議(前回は現職を支持)に対するバッシングも尋常ではなかった。

 しかし、これらは逆効果しかもたらさず、期日前投票においても「動員されても票は売らない」市民の良識が発揮されたと言えよう。

 「名護市民はこの13年間、二分され苦しい思いをしてきました。もう終わりにしましょう」と、稲嶺氏は選挙期間中、繰り返し訴えてきた。それは、基地建設のターゲットとされた東海岸だけでなく、名護全域の市民の心に深く染み通った。その上に、政権交代の新しい風が「基地とリンクしない振興策」への希望の光を灯した。

 響き渡る「バンザイ!」の声の中に、歴史の歯車が力強く前進する音を私は確かに聞いた。鳩山政権がこの音を、再び示された名護市民の民意をしっかりと受止め、辺野古移設案をきっぱりと断念してくれることを、私は名護市民として、基地問題に苦しんできた地元住民として、心から願っている。

 「今日が新しいスタートだ」と稲嶺氏が語ったように、名護市政の行く手は決して平坦ではない。破綻寸前の市財政の立て直しをはじめ、利権まみれで溜まりに溜まった膿や汚染を取り除く作業は困難を極めるだろう。しかしながら私たち市民は、「市民の目線」に立つ新市長とともに、この作業を担っていく決意を固めている。
本文は2009年1月29日の”週間金曜日”に掲載されものです。
当確を決め、支持者と握手する稲嶺進氏
みんなで勝利の「バンザイ!」
共同インタビューに答える稲嶺進氏
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13年ぶりのうれし涙
わが子の未来に基地は不要
ヘリ基地いらない二見以北十区の会 共同代表 渡具知智佳子
 仕事先から大急ぎで戻り、子どもたちに声をかけ、家を出ようとした瞬間、電話が鳴った。1月24日午後8時3分。稲嶺進さん当確の知らせだった。

 「だってさっき投票箱がしまったばかり…」。にわかには信じられなかった。選対本部の黒山のような人だかりを目の当たりにした時、そして親しい方々に「13年の思いが通じたね。ほんとによかったね」と労をねぎらってもらった時、止めどもなく涙があふれてきた。「やった。進さんが勝ったんだ。これで基地問題が私たちの望んでいる方向へ動きだすぞ!」。13年ぶりのうれし涙だった。

 私たち家族が住む名護市の久志地域は、大浦湾を挟んで対岸がキャンプ・シュワブ米軍基地で、辺野古に新基地が造られれば、私たちの頭上を米軍機が飛び交うようになり、日々命の危険にさらされる、そんな場所にある。そして何よりも海上に米軍基地が造られれば、今ある辺野古、大浦湾の豊かな海は死に絶えることになる。

 私たち夫婦は、なかなか子どもに恵まれなかった。結婚5年目にやっと新しい命を授かった時、普天間飛行場の代替施設建設予定地として名指しされ、1997年の住民投票で基地建設反対派が勝利したにもかかわらず、当時の比嘉鉄也名護市長は基地建設受け入れを表明し、以後、名護市民は振興策をあてにして命を売ったという汚名を着せられてきた。

 やっと授かったわが子。「この子の未来に戦争につながる基地はいらない」という親としては当然の思いだけで、基地建設反対の活動を続けてきた。

 今回の名護市長選には、97年の住民投票をほうふつさせるものがあった。企業の押しつけ期日前投票である。

 勤務中に、バスやワンボックス車で一緒に投票に連れて行き、無言の圧力で候補者の名前を書かせるのである。気の弱い人は、みんなと同じ名前を書かざるを得ない。「そんなばかなこと…」と思われるだろうが、名護市ではそれがまかり通っている。

 今回の市長選は、革新側が一本化したことに危機感を持った相手陣営が企業を通じた締め付けを一層強め、期日前投票所は連日、外で行列ができるほどのにぎわいであった。

 投票所に流れ込んでいく作業服姿の男性に「こんばんは」と声をかけながら、何もできない自分に落ち込む日々が続いた。「今回もだめかもしれない」「いや、名護市民の心を信じよう」…。心を締め付けられるこの何とも言えない思いは、かつての住民投票以上であった。

 そんな中での稲嶺進さんの勝利は、名護市民の「これ以上新たな基地は造らせない」という純粋な思いが、一つに集約された結果だと思う。

 これからが名護市にとって新たな一歩であると同時に、稲嶺新名護市長には、基地問題をはじめ大変な課題が山積している。私たち市民は、一生懸命市長をサポートして、市長と共に新たな名護市をつくっていきたいと思っている。そして、それが実現可能であると確信している。
本文は2009年1月27日共同通信社配信記事です。
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