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2008年  10月11日 テーマ 3つの小学校で最後の運動会
(2008年10月9日付インターネット新聞JanJan投稿掲載記事)
文・写真 浦島悦子
二見以北の3つの小学校の最後の運動会を取り上げたJANJANの記事を転載します。ほんとうは、ホームページ用に原稿を別に書きたいのですが超多忙で許してください。
3つの小学校で最後の運動会
過疎進む名護市東海岸・普天間代替基地隣接地域

沖縄島の名護市東海岸・二見以北十区は、米海兵隊の普天間飛行場代替施設(辺野古新基地)の建設予定地に隣接する地域だ。この地域に4つある小学校(久志・三原・嘉陽・天仁屋の各小学校)が1つに統合されることになり、廃校となる3小学校でこのほど、最後の運動会が行われた。だが統合の具体的プロセスに関しては、利用可能な校舎を壊し、新設する計画や、敷地の民間への売却の噂など、利権がらみの臭いも濃厚で、疑問が多い。

 米海兵隊の普天間飛行場代替施設(辺野古新基地)の建設予定地とされた名護市東海岸・二見以北十区にある3つの小学校が今年度いっぱいで廃校になることが決定し、9月28日に嘉陽小学校、10月5日に三原小学校および天仁屋小学校で最後の運動会が開催された。

11人の子どもたちが校長先生の前で「がんばります!」:嘉陽小学校


地域の婦人会。98年の感謝を込めた踊りの後で:嘉陽小学校


名物の獅子舞。高学年の役目です:嘉陽小学校


低学年の子どもたちのチョンダラー。
「ありがとう嘉陽小学校……」の文字が見守っています:嘉陽小学校



創立当初の茅葺き校舎の写真:三原小学校


写真を見ながら学校の思い出を語る地域住民ら:三原小学校


全校生徒で踊ったエイサーに惜しみない拍手が送られました:三原小学校


在校生・卒業生・職員で最後の三原小校歌ダンス:三原小学校

 私の住む二見以北十区は、国の天然記念物・ジュゴンが生息し、アオサンゴやハマサンゴの大群落、クマノミのコロニーなどが確認されている大浦湾に沿って10の集落が点在する過疎地だ。1997年、降って湧いた基地建設問題に10年余も翻弄され、住民同士がいがみ合わされ、緊密だった地域共同体はズタズタに引き裂かれた。基地の見返りとして各区に立派な公民館や診療所や消防署など真新しい施設が次々と建てられたが、過疎化に歯止めはかからず、ついに地域内に4つある小学校(久志・三原・嘉陽・天仁屋の各小学校)を1つに統合することになったのだ。

 名護市教育委員会の計画では、来年度に4つの小学校を久志小学校に暫定統合し、3年後には、久志中学校の隣に新設する小学校に移転、小中一貫教育をめざすという。

 しかし、この計画に地域住民は納得しているわけではない。市教委は各区での説明会や意見交換会を重ね、説明責任を果たしたと言っているが、「複式学級解消」の名の下に、他の選択肢は一切示さず、初めから「統合→新設」ありきで行われた説明会は、住民には「結論の押しつけ」としか受け取られず、回を重ねれば重ねるほど「何を言っても無駄」というあきらめを植え付けただけだった。当初はたくさん出ていた反対意見や異論がだんだん少なくなった(参加者も目に見えて減っていった)のを「合意が得られた」と強弁する名護市教委の傲慢さは、過疎地住民への差別以外の何ものでもない。

 とりわけ過疎地において学校は地域の要であり、学校がなくなればますます過疎化するであろうという不安を多くの人々が口にしている。それぞれが長い伝統を持ち、地域住民が強い愛着を持っている4つの小学校をすべて、まだまだ充分使える施設ともども廃校にし、新しい学校施設を造るという計画に、新設工事=基地がらみの振興策をめぐる利権の臭いを嗅いでしまうのは私だけではあるまい。

 納得できない私たち住民は、6月名護市議会に統合見直しを求める陳情を提出し、市議会民生・教育委員会による意見聴取の席上で、市教委の強引な進め方に対する疑問や地域にとっての学校の重要性、複式学級の課題を解決するための他の方法などを訴えた。

 陳情は継続審議となったが、その間にも市教委は統合に向けた協議を進め、統合は避けられない見通しとなったため、9月議会に陳情を出し直した。統合に納得はできないが、それが避けられないなら、せめて久志小学校だけでも残して欲しい=新設校を造るのでなく、久志小学校への統合にとどめ、そこにおける施設や教育環境の充実を図って欲しい、という内容である。

 さらに、廃校になる3つの小学校の跡地利用について、民間に移譲したり売却したりするのでなく、地域住民や公共のために使って欲しいという要請も付け加えた。3つのうち、とりわけ嘉陽小学校は、沖縄でももうほとんど見られなくなった美しい自然海岸に面して立地するという、その抜群のロケーションから、企業に狙われているという噂を少なからぬ住民が耳にしており、それに釘を刺す必要があったからだ。

 嘉陽海岸はウミガメの産卵場所であるだけでなく、周辺海域に生息するジュゴンたちの貴重な餌場でもある。ここが万一、企業の手に渡ってホテルが建てられたりすれば、ただでさえ絶滅に瀕しているジュゴンにとって、致命的な脅威となることは避けられないのではないか。

 9月28日、創立98年の嘉陽小学校最後の運動会。息子の出身校なので、これまでもたびたび参加していたが、この日は特別の思いで出かけた。

 在校生は11人だが、親兄弟や親戚、卒業生、地域住民などが大勢駆けつけ、競技にも参加して最後の運動会を盛り上げた。島袋吉和名護市長や比嘉恵一名護市教育長も来ていたが、校長やPTA会長、児童会長の挨拶の中に「最後」「閉校」「淋しい」という言葉がしばしば聞かれ、参観している人々の眼に涙が浮かんでいるのを、どのように見、聞いたのだろうか。

 1週間後の10月5日には、三原小学校と天仁屋小学校でも最後の運動会が行われた。三原小は幼稚園生5人を含め在校生36人、天仁屋小学校は7人だ。天仁屋小はあまりにも少ないので、子どもたちの保護者から統合の要望が強いと聞いた。少ないとはいえそれなりに人数のいる三原小では、統合の希望は出ていない。そこで6月の陳情では、いきなり4校統合でなく、三原・天仁屋・嘉陽の3校を三原小に統合し、単独で50人以上の在校生のいる久志小との2校体制で行く方法もあると提案したのだが、容れられなかった。

 この日は、現在住んでいる三原の小学校の運動会に参加した。63回目で最後の運動会を飾るために特訓を続けたという全校エイサーをはじめ、子どもたちの競技もすばらしかったが、校門近くに展示された学校の歴史を語る写真の数々を懐かしそうに見入りながら、思い出を語り合う地域のお年寄り=卒業生たちの姿が印象的だった。

 「ここは戦前は田圃だったんだよ」と、私の隣にいた80代のKさんが教えてくれた。戦後すぐ、学校建設のために自分の土地を提供したのも、深い田圃を埋めたのも、山から材木や竹を切り出し、教室を建てたのも、みんな地域の人々だった。口々にそんな話をしてくれる彼らの顔には、自分たちが三原小を作り、育ててきたんだという自負と誇りが溢れていた。それがなくなるのはどんなに悔しく淋しいことだろうと、私は胸が詰まった。

 秋の空はあくまでも高く、青く、学校を取り巻く山々の緑は美しかった。しかし来年はもう、ここに子どもたちの声が聞こえることはないのだ。
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