2019年 3月31日 3月28日第1回口頭弁論での原告意見陳述
    松田藤子
原告意見陳述書
2019年3月28日 松田藤子
 私は昭和15年に金武町で生まれ、1965年に婚姻し、そのころから、夫の実家がある名護市汀間の住所地で生活しています。

 汀間は約70世帯、約270名の小さな集落で、汀間漁港から山の方に住宅が広がっています。



2 戦後の苦しい生活

 私は沖縄戦で夫を亡くし、未亡人となった母親の元で育ちました。父が生きた証を証明する遺骨もなく、亡くなったと聞かされている首里から拾ってきた2、3個の石ころが納骨されているだけです。

 戦後30代の母は、高齢の祖父母と私を含む4人の子どもの生活を背負っていました。

 私は、母親を助けるため、小学校入学時から農作業や家事を手伝い、一人前の労働力として家庭を支えてきました。母は子どもたちの世話をする暇もなく、朝は未明から行商へ、夜は遅くまで洋裁の仕事で忙しく、私たちが寝るまで帰ってこないこともよくありました。中学校を卒業するまで、母が学校行事に来てくれたのは運動会だけでした。

 勉強面での不自由も多く、ノートはアメリカ軍のゴミ捨て場から拾ってきたタイプ用紙と、セメント袋をB5 サイズ程に切って縫い合わせて造り、ドリル用に使用したり。鉛筆は短くなると竹ひごに抜いて最後の1cmまで使い切る、家庭科の着物作りでは反物が買えず、古い着物をほどき教材として使いました。高校、大学は親戚の家に住み込みで家事の手伝いをしつつ、働きながら勉学を続けました。

 母の一升は、戦争で夫を亡くしたため、未亡人として永く、つらい、苦しい人生を送る運命になってしまいました。

 戦争はこのようにして、犠牲になった人だけでなく、生き残った妻子や家族をも苦しめ、悲しませるむごいものです。絶対にあってはならないことです。



3 生活の中の大浦湾

 私の実家は金武町にあり、高校、大学の時はコザに住み、教員時代は金武町や伊江島、名護市内など、米軍基地が常に身近にありました。嘉手納基地を発着する米軍機の爆音、ブルービーチ周辺を飛行する米軍機の爆音、伊江島の米軍基地周辺を飛行する米軍機の爆音、辺野古周辺を飛行する米軍機の爆音など、常に爆音に晒されてきました。

 それに比べて、私の住む汀間は、とても静かな集落です。集落の目の前は海で、遮るものがなく、水平線までエメラルドグリーンやコバルトブルーの澄み通ったグラデーションを呈し、きれいな癒やしの海でした。

 自宅から大浦わんさかパーク前を通過し、二見トンネルまでのルートをほぼ毎日通りますが、大浦湾を横目に見ながら通る風景は何ともいえません。また、帰宅する際に、二見トンネルから抜けた時に広がる水平線や、穏やかな大浦湾の風景はいつもホッとする気持ちにしてくれます。

 大浦湾の風景は私の生活の一部になっており、私の心のオアシスです。



4 新基地による予想される被害

 ところが、海上での作業や工事が始まり、その風景が一変しました。大浦湾には、作業船、運搬船、海上保安庁のボート、監視船、工事に反対するカヌー隊や抗議船が浮かんでいるのが見えます。穏やかな海が、戦争へと繋がる基地に変容しつつあります。

 日々、海が壊れていく様子を見て、とても悲しく、また、心の中はいつもマグマがうずきます。海中の貴重な生き物たちが右往左往しているであろうと思いを馳せ、いたたまれなくなります。

 予定されている二本の滑走路の内、山の上側の滑走路の延長線上には、カヌチャリゾートホテルや安部の集落があります。汀間は、安部の隣集落なので、離発着の際や、集落の上を旋回したり、離発着態勢に入る前に集落上空又はそのすぐ横を通過する可能性が非常に高く、爆音の被害が予想されます。

 私の実家がある金武町でも、上空を米軍機が旋回し、爆音がすごいため、同じようなことが汀間でも起きるのではないかとても不安です。



5 汀間集落の反対決議

 汀間区は約8年前に、区民常会において、再度、辺野古新基地建設反対決議をしています。

 また、2014年に稲嶺前名護市長が当選した際に、市長をバックアップしようということで、二見以北10区(二見、大川、大浦、瀬嵩、汀間、三原、安部、嘉陽、底仁屋、天仁屋)で、新基地を作らせない住民の会を立ち上げ、私が会長を務めました。その当時、基地反対を大々的に声を上げる住民がいなかったため、二見以北10区の住民約1400人を対象に新基地建設反対に賛同する署名活動をしたところ、約900人から賛同を得ました。その数に、とても驚きました。

 この組織を母体に三回の反対集会の実行、防衛局を始め諸機関への要請行動もしてきました。外務省、防衛省、環境省等に要請行動の際、その席で、二見以北10区は地元と認めないのですかの質問やジュゴンの食み跡が100本以上もある大浦湾はなぜ調査の定点から外すのですかとの質問等にも納得のいく答えは返ってきませんでした。



 国は私たちの要請に耳を傾けることなく、説明もなく、住民の声を無視して、工事が強行されています。今止めなければ、取り返しのつかないことになります。豊かな海が死の海になるとの焦りといらだちで落ち着かなくなります。要塞化した新基地は、戦争へ向かうレールに見えて仕方ありません。私は、よく瀬嵩の集落入り口付近の墓地の広場に車を止めて作業船や海上保安庁の船を穴があくくらい睨み付けています。耐用年数200年といわれている基地が造られてしまったら、美しい風景の大浦湾が消えて、私は毎日その基地を眺めることになり、埋もれた生き物たちの地獄を見せつけられ、心が曇る日々になるでしょう。

 戦争、それは平和に暮らしている人々を殺し、すべての物を破壊し尽くすむごいものです。又、戦禍を免れ生き残った者にも、一生、悲しみと苦しみを負わせ、心に取り返しの付かぬ後遺症を残す悲惨なものです。

 70年前の戦災からここまで復興した沖縄です。これ以上の基地負担はもうごめんです。新たな基地建設を許すわけにはいきません。


 
以   上
みなさん! 10区の会がめげないよう、 応援をおねがいします。
郵便振替 01730-9-9673 ヘリ基地いらない二見以北10区の会