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2017年 12月29日 名護市民投票から20年!
辺野古テント村座り込み5000日集会
欠陥機オスプレイ墜落から1年! 抗議集会
12月26日、辺野古ゲート前で「座り込み5000日集会」が行われました。

アピール文は私、浦島悦子(十区の会共同代表)が起草しました。この間の思いを込めたものなので、ぜひ読んでくださいね。
主催者あいさつを行う安次富浩・ヘリ基地反対協議会共同代表
(辺野古キャンプ・シュワブゲート前テント)
500人の参加で埋め尽くされたテント
熱気にあふれ、12月末というのに汗ばむ暑さ
来年2月4日に市長選を控えた稲嶺進名護市長
「国家権力が相手の厳しい選挙戦だが、皆さんの力をいただいてなんとしても勝利したい!」とあいさつ
名護市民投票から20年!辺野古テント村座り込み5000日集会

アピール文
 1997年12月21日、名護市民が市民投票で「辺野古新基地NO」の市民意思を内外に示してから丸20年が過ぎました。そして2004年4月19日、辺野古海岸テント村での座り込みを開始してから今日で5000日を迎えます。

 新基地建設の是非を問う名護市民投票は、「大事なことはみんなで決めよう!」というスローガンに示されるように、民主主義の原点に根差すたたかいでした。日本政府は権力と金力を総動員し、あらゆる手段を使って潰そうとしましたが、名護市民はそれを見事にはねのけたのです。しかしながらわずか3日後、政府の圧力に屈した当時の比嘉鉄也市長によって、市民が心血を注いで勝ち取った勝利は覆され、以来20年間、名護市民は日米の国家権力との理不尽な対峙を強いられてきました。

 2004年4月19日から、当時の計画であった「リーフ上埋め立て」に向けたボーリング調査を止めるたたかいが始まりました。同年8月13日の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落を機に、政府は、危険な普天間基地の辺野古への「移設」を急ごうと海上作業を強行しましたが、地元住民・名護市民をはじめ近隣のウミンチュたち、全国から駆け付けた若者たちの応援も得て、船やカヌー、ボーリングやぐらへの座り込みなど、1年間にわたる海上でのたたかいを展開し、ついにこの計画を断念に追い込んだのです。

 この20年の間に日本や世界の政治・経済情勢も、米軍基地をめぐる状況も大きく変化し、それに伴い新基地計画の中身も何度も変わりましたが、日本政府はストーカーのように「辺野古唯一」に固執し続けています。2010年1月、名護市民は「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」を公約に掲げる稲嶺進市長を当選させました。名護からの源流はやがて、「オスプレイ配備・新基地建設を許さない」オール沖縄の大きな流れとなり、うねりとなって、2014年、稲嶺市長再選、そして翁長雄志県政を誕生させたのです。

 今年4月25日、安倍政権は「埋め立て工事着工」を大々的に宣伝しましたが、ゲート前座り込みや海上・陸上をつなぐ不屈のたたかいによって工事は計画通りには進まず、無数の命を育む辺野古・大浦湾の海は、今も私たちの前に美しく輝いています。それは、地元住民・名護市民の地を這うような地道なたたかいが全県・全国・世界に共感を広げ、ひとつの大きな意思となって不当・不法な基地建設を阻んでいるからにほかなりません。この美しい海を美しいまま子や孫に残したい、子や孫たちを再び戦場にさまよわせたくない――それがこの20年間変わらない私たちの願いです。

 憲法を変え、戦争への道を突き進もうとしている安倍政権は、沖縄県民が各種選挙で明白に示した民意を踏みにじり、新基地建設を暴力的に強行しています。来年2月の名護市長選挙で3選を目指す稲嶺市長は、「次の任期で辺野古問題に終止符を打つ」と明言しました。これに危機感を持つ政権は工事を加速させて市民のあきらめを誘おうと、石材の海上輸送を始めましたが、私たちは騙されません。あきらめないことこそが、私たちのたたかいであり、「勝つ秘訣」です。

 今こそ名護市民投票の原点に立ち戻るときです。自分たちの未来は自分たちで決める! 名護市長選に勝利し、新基地計画を白紙撤回させ、平和で自然豊かな沖縄の未来を私たちの手でつくっていきましょう!
2017年12月26日
ヘリ基地反対協議会
集会参加者一同
みなさん! 10区の会がめげないよう、 応援をおねがいします。
郵便振替 01730-9-9673 ヘリ基地いらない二見以北10区の会