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2013年   4月 7日 4/5 辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会
  文・写真 浦島悦子(十区共同代表)
「一歩も引かず、地元から拳を上げよう!」
 春の嵐が全国的に吹き荒れ、沖縄の島々もバケツをひっくり返したような大雨に見舞われた4月5日夕刻、名護市民会館で「〜子どもたちの未来のために〜辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」(主催=与党市議団を中心とする実行委員会)が開催されました。当初予定の市民会館中庭から中ホールに場所を移して行われた集会には、悪天候にもかかわらず主催者の予想を上回る1300人が参加。名護市民はもちろん、普天間基地を抱える宜野湾をはじめ県内各地の市民、国会議員、県議会議員、各市長村議員などが続々と駆けつけ、会場から溢れガラス戸越しに参加した人も少なくありませんでした。

 西川征夫・副実行委員長(辺野古・命を守る会代表)の開会挨拶のあと、実行委員長の比嘉祐一・名護市議会議長が挨拶に立ち、「(3月22日、不意打ちで埋め立て申請を強行した)政府のやり方は断じて容認できない。名護市議会はこれに抗議する意見書を3月26日に可決した。稲嶺市長をしっかりと支え、市民が一体となって撤回を求めていこう! 日米両政府の差別的態度を許さず、埋め立て申請撤回、辺野古移設撤回に向けて行動を起そう!」と呼びかけました。
 
 次に、十区の会の共同代表・渡具知智佳子さんと武清さん夫妻の長男である武龍さん(この春、名護高校に見事合格し、新1年生となります!)が意見表明。1997年=名護市民投票の年に生まれ、基地反対を貫く両親を見ながら育ってきた彼は「人殺しの基地を造るのが間違っていることは子どもでもわかる。子どもたちはいつも大人たちの行動を見ている。ウチナーンチュの誇りと美しい自然を守るためにこれからも頑張る」と力強く語り、会場を埋めた人々に大きな感銘を与え、圧倒的な拍手と声援を浴びました(渡具知武龍さんの発言全文を別掲します)。

 続いて意見表明を行った仲村善幸・名護市議は「(当日、政府が発表した)嘉手納以南の返還プログラムは辺野古移設が前提となっており、絶対に許されない。知事に圧力をかけ、県民の分断を計り、誘致派とコソコソ会って強行押しつけしようとしているのが日本政府の姿だ。政府は勝手に辺野古移設を決め、市民を分断し、まちづくりにも大きな支障を来してきたが、稲嶺市政の誕生でこの状況を断ち切り、基地に頼らないまちづくりが進んでいる。仲井真知事を県内移設容認から県外移設へと転換させ、全市町村で県内移設反対を決議する状況を作り出したのは稲嶺市長であり名護市民、そしてそれを支える県民・国民だ。命を育む海を潰させないことは子や孫に対する責任。市長には2期目に向けて是非頑張ってもらうためにこれからも全力で支えていきたい」と述べました。

 太鼓と指笛、満場の拍手に迎えられて挨拶に立った稲嶺進市長は、冒頭で「先ほどの武龍くんの話に目がうるうる、感激した」と述べたあと、次のように語りかけ、訴えました。(少し長いのですが、とても心を揺さぶり、胸に染みる話だったので、ご紹介します。)

「私たちはこの間、日本政府から、市民感覚、というより人間感覚として理解できない仕打ちを受けてきた。一昨年末の12月28日午前4時の評価書持ち込み、昨年12月18日の補正評価書提出も、この3月22日の埋め立て申請提出もすべて抜き打ち、不意打ちだった。これほどウチナーンチュを足蹴にすることが許されるでしょうか、皆さん!(「許されな〜い!!」と会場)

 1月28日の「建白書」もなかったかのように強行してくることに、憤りを通り越して悲しさ、空しさを覚える。表現仕様のない政府の仕打ちに対し、ウチナーのアイデンティティをしっかり示していかなければならない。

 3年前の5月28日、(「最低でも県外」を公約した)鳩山政権が辺野古に回帰した日の緊急市民集会も今日のような大雨だった。今日の雨も、自然を冒涜する者の仕業に天が怒っている、私たちの思いを天が代弁しているものだ。
 私たちは負けなかった。この日が、新たなたたかいを構築し、沖縄の流れを変える始まりの日となった。2010年の名護市長選挙が県民の心を動かし、今のオール沖縄の状況を創り出した。沖縄は変わった。もう後には戻らないほど県民の心は一つになった。地元が頑張ったから県民の心を動かしたのだ。卑劣な方法で埋め立て申請が行われたが、今回も、地元から拳を上げて行動を起すことをみんなで確認しよう! 

 政府の閣僚たちが振興策をちらつかせ、負担軽減とか理解を求めるとか繰り返して頻繁に沖縄行脚をしているが、誰一人、名護市長に会いたいと言う人はいない(会場、爆笑)。 なんでかね〜〜(会場、笑いと拍手)

 市街地にある普天間基地を移設するという大義名分で、規模も機能もより大きく、軍港機能まで備えた新たな基地を造るのが負担軽減なのか! よくも平気でそんなことが言えると思う。県民の声を聞くというが、あの耳には補聴器でなく耳栓をしている(会場、笑い。「そうだ!」の声)。そして帰る際には、辺野古しかない、と言って帰る。17年間動かなかった、動かさなかった県民の力を知らない。

 これからもたたかい続け、沖縄の心をウチナーンチュ自身がしっかり守り、それを日米両政府、国民に訴え続けていくことが我々の大きな課題だ。日本政府はもちろん米国にも行って、直接発信していかなければならない。

 先日、お出かけ市長室で屋部小学校6年生に呼ばれたとき、子どもたちの方から、基地問題はどうなっているんですか、と聞かれた。子どもたちは関心を持ち、心配している。振興策や補償金をもらうのは大人だが、辺野古に基地ができれば、その負担を担うのは子どもたちだ。子や孫たちの世代に負の遺産を残してはいけない、誤った選択をしてはいけないと改めて感じた。
 辺野古の海に新しい基地は造らせないということでスタートしたので、これからも信念を持って貫く。一歩も後に引くことなく、揺るがず、ひるまず、みんなとともに頑張ることをお誓い申し上げ、皆さんに感謝し、挨拶としたい」

 市長の話を聞きながら、私の脳裏をこの16年間のさまざまな出来事が駆けめぐり、熱いものが込み上げてきました。この市長を選んで本当によかった!と心から思い、そして、これからも、ともに頑張っていけるという勇気をもらいました。

 最後に、岸本洋平・名護市議が読み上げて提案した集会アピール(別掲)が参加者全員の拍手で採択され、翁長久美子・名護市議の元気な音頭のもと、みんなで拳を上げて「ガンバロー三唱」し、集会を閉じました。

 100人にも満たない名護漁協の埋め立て同意書だけがマスメディアで意図的に繰り返し報道され、あたかも名護市民が基地を受け入れたかのような誤解を国民に与える中で、埋め立て申請後、県内でも真っ先に、市長をはじめ名護市民の民意をはっきりと示した緊急集会の意義は大きかったと思います。会場の熱気が雨を吹き飛ばしたのか、いつの間にか雨もやんでいました。
〜子どもたちの未来のために〜
辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会

アピール
 平和を愛する人々がゆいまーるの心で共生し発展してきたこの沖縄。それが戦火で焼け野原と化し、その壊滅的な打撃から立ち上がり67年が経過した。しかし今なお、米軍基地は無法状態に運用され、これまでに多数の事件・事故を引き起こし沖縄県民、市民に多大な被害をもたらしている。

 そのような事態に対し今回行われたオール沖縄による総理直訴では、オスプレイ配備撤回、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去および県内移設反対を求めたが、県民の総意にもかかわらず、防衛省は去る3月22日に「辺野古埋め立て申請書」を沖縄県に突如提出した。この沖縄県民の声を一顧だにせず、まったく配慮に欠けた政府の行為には激しい憤りを禁じえない。


 これまでにも基地の影響により、地域住民は分断されるとともに、その誇りは踏みにじられ、多くの県民が犠牲を強いられてきた。しかし、それらは未だ全国民の共通認識とはならず、沖縄への基地の負担は圧殺され、不平等な地位は改善されることもなく過度の負担は我慢の限界を超えている。それが沖縄の現状である。

 かの歴史家、E・H・カーの言う「過去に光をあて、その照り返しで現代を見る」ならば、今を生きる私たちは、過ちを繰り返すことのないよう心をひとつにして、未来の子どもたちのために将来にわたって誇りうる地域社会を引き継いでいくべく、立ち向かって行かなければならない。

 もはや県民の意志は揺るがず、地元の声を無視した政府の強行を断固として許すわけにはいかない。

 よって私たちはここに、日米両政府による米軍普天間飛行場の県内移設の推進を強く非難し、日本政府による辺野古埋め立て申請の撤回を求めることを明確にする。
平成25年4月5日
〜子どもたちの未来のために〜
辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会
ときに笑いを引き出しながら語りかけた稲嶺進市長

比嘉祐一・名護市議会議長が実行委員長として挨拶

意見表明する仲村善幸・名護市議

名護高校1年生・渡具知武龍さんが堂々と意見表明しました

以下は渡具知武龍さんの訴えです。
 会場にお集まりの皆さんこんばんは。

 僕は辺野古集落と大浦湾をはさんだ対岸にある瀬嵩に住んでいる渡具知武龍といいます。今日は新基地建設に反対する思いを皆さんに聞いてもらいたくてここにたたせていただきました。

 僕は1997年、名護市民投票の年に生まれました。そしてその年、この普天間基地の辺野古移設計画は消えるはずでした。なぜなら1997年12月21日は名護市民がいろんな圧力に屈することなく、普天間基地の辺野古への移設にNOを突きつけた日だからです。しかし、比嘉元名護市長の基地受け入れ表明によりその日は日米両政府との新たな戦いの日々の始まりの日となってしまいました。

 僕は小さいときから親に連れられさまざまな集会に参加してきました。しかし幼かった僕には訳が分からず、ただつまらない話にしか聞こえませんでした。しかし、小学校高学年になり、色々考えられるようになると次第に基地の危険性がわかってきました。米兵による事件、事故、いつ落ちてくるか分からない米軍機への恐怖、そしてそれがもたらす爆音被害、環境への多大な影響。小学生だった僕にでも基地の怖さが分かったのですから基地を作ろうとしている大人の皆さんはそれこそ十二分承知のはずです。県民の思いを無視してでもなお新基地を作ろうとする日本政府に僕はただただ疑問と怒りを覚えてなりません。

 あの市民投票から16年がたちました。その間に沖国大にはヘリが落ちました。米兵が何百件と事件を起こしました。それでも政府は考えるどころか欠陥機であるオスプレイをも配備させたではではありませんか。沖縄県民にこれ程ひどいしうちをしておきながらなお、沖縄県民の理解を求めようとする日本政府のやり方にあきれてしまいます。根底から間違っているのに理解もなにもないじゃないですか。

 子どもにでも分かるんです。戦争をしないと誓った島の上を、軍用機が我が物顔で飛ぶのはおかしい事だと。美しい海を埋め立ててまで人殺しのための基地を作るのはまちがっていることだと。僕たちこどもは皆さんに比べれば微力かもしれません。でも僕たちはいつ、どんな時でも、大人たちの行動を見ています。平和を願う気持ちに大人・子どもは関係ありません。ウチナーンチュの誇り、そして美しい自然を守るために、僕はこれからも一所懸命がんばりたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。

 どうもありがとうございました。
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