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2006年 5月 2日 テーマ 沖縄のマグマが動き始めた
  執筆 ヘリ基地いらない二見以北10区の会 浦島悦子
沖縄のマグマが動き始めた
3万5千人が集まった3・5県民大会
 数日前まで3月5日の天気予報には「雨」マークが出ていて、気が気ではなかった。看板を作って立て、チラシを配り、「みんなの参加で県民大会を成功させましょう!」と街頭宣伝にかけずり回りながら、雨だったら参加者は半減するよなぁ…と気をもんでいた私たちに天が同情してくれたのか、2日前から、にっくき「雨」マークが1日後、2日後とずれていき、とうとう当日はピカピカの晴天が輝いたのだ。

 晴れた空からこぼれ落ちる陽の光を浴びてキラキラと輝き、空の青を映していっそう深みを増した藍色の大浦湾に沿って、私たちのバスは一路、会場の宜野湾市海浜公園をめざした。県民大会に参加する多くの県民に、この大浦湾に襲いかかろうとしている普天間移設辺野古沿岸案の直撃を受ける地元住民の声を届けようと、「ヘリ基地いらない二見以北10区の会」でバスをチャーターして参加することにしたのだ。

 南北20キロに点在する10の集落を1つ1つ回って、おじぃ、おばぁを含む参加者を拾うのに2時間近くもかかった私たちが会場に着いたのは、午後3時を少し回っていた。舞台ではすでにピースステージと題する音楽イベントが始まっていたが、続々と集まる人々はあとからあとから湧いてくるようだ。宜野湾市職労の大城委員長に出会って挨拶したら、「駐車場はすごい渋滞だ。まだまだ来るよ。(8万5千人が集まった)95年の県民大会に似てきた」と、興奮気味に言った。色とりどりの旗(「琉球独立」の旗もあった)や幟、工夫をこらしたプラカードや横幕、家族連れや若者たちの多様な装い、「ピース花獅子」などのアート・パフォーマンス等々、会場の華やぎがうれしい。

 午後4時、いよいよ大会が始まった。「知事権限を奪う特措法制定反対 普天間基地の頭越し・沿岸案に反対する沖縄県民総決起大会」という長たらしい名称は、準備段階から「意味がわかりにくい」と不評だったが、県知事を含む超党派での開催をめざして、沖縄県議会が全会一致で行った決議名を、敢えてそのまま用いたという。しかし残念ながら、大会実行委員会の度重なる要請にもかかわらず、「国に反対すれば振興策が来なくなる」ことを恐れる自民党・公明党は参加せず、「超党派でない」ことを理由に知事も参加しなかった。

 開会の挨拶を行った山内徳信共同代表は「沖縄県民はこれ以上だまされない。沖縄のマグマが大きく動き始めたことを日本政府は知るべきだ。沿岸案を受け容れないというのが県民全体の声だ。撤回までたたかい抜こう!」と力強く呼びかけたが、もう一人の共同代表である比嘉幹郎氏の主催者代表挨拶には、精一杯の努力も空しく超党派とならなかったことへの慚愧がにじみ出ていた。「地域住民から各自治体、知事まで、県民の総意である沿岸案反対を国の政策に反映させるために大会を開いた。県民が分裂している場合ではない」。かつて、西銘・保守県政時代の副知事を務めた人の、ウチナーンチュとしての危機感が伝わってくる。「沖縄を守るために大同団結しよう!」という彼の言葉が心に染みた。
「大浦湾を守れ!」
 沖縄選出国会議員たちの発言、伊波洋一・宜野湾市長の挨拶のあと、いっしょにバスで行った二見以北の2人が地元からの訴えを行った。10区の会の共同代表で3人の子を持つ渡具知智佳子さんは、この9年間の苦しみと子どもたちの未来への不安を切々と訴えたあと、「沿岸案に反対ではないのです。いかなる案であろうと新しい軍事基地を造ることに反対しているのです」「日本政府の皆さん、こんなにも嫌われているのですから、きっぱりと沖縄をあきらめてください」と述べ、大きな共感の拍手を浴びた。

 沿岸案で大規模埋め立てが目論まれている大浦湾を漁場とする名護市漁協汀間支部長の勢頭弘敏さんは、「大浦湾海域は藻場が発達し、あらゆる魚の産卵場所であり、シラヒゲウニの生息場所でもあります」と大浦湾の豊かさを語り、「日米両政府が合意した最悪の沿岸案に強く抗議する」と決意を語った。二見以北からの参加者たちは、この日のために用意した、藍の地に「大浦湾を守れ!」の白抜き文字が映える横幕を、舞台前に大きく掲げて2人の発言者をサポートした。

 3万5千人の参加者は、数だけで言えば、95年の県民大会の半分にも満たない。しかし、超党派で官制組織も総動員し、交通機関も無料となった95年と比べ、圧倒的に不利な条件の中で、自由意思で参加した人々がこれだけいたことの意味は大きい。日本政府が、3万5千は大したことはない(からねじ伏せられる)と見たのか、それとも、これだけの反対があるなら説得不可能だ(から強権でやるしかない)と見たのかはわからない。いずれにしても県民の意思を無視する態度を露骨に示し始めた政府に対し、今回の県民大会に参加しなかった勢力までが反感を募らせつつある。「沖縄のマグマ」は熱くなる一方だ。
「普天間基地体感ツアー」が実現
 3月21日、10区の会では再びバスを借りて、「普天間基地体感ツアー」を行った。10区から子ども14人大人14人、10区外からの参加者も含めると40人を越えたこのツアーが成功したのはひとえに、普天間基地を抱える宜野湾市の方々の尽力と支えがあったからだ。私たちが乗ったバス一つをとっても、運転手付き、ガソリン代や高速代などの諸費用もすべてカンパで、宜野湾市職労が出してくれたもの。宜野湾から、高速道路を使っても1時間以上はかかる瀬嵩(せだけ=10区の中心地。ツアー参加者集合場所)への送り迎えまでやってくださった。

 10区の住民は、新基地建設に対して大きな不安を持ちながらも、移設されるという普天間基地の実態はほとんど知らない。基地が造られるということの実感を持てず、危機感のない人々も少なくない。造られてから実感し、後悔しても遅いから、どんな基地が来ようとしているのかを自分たちの五感で確かめたい、という私たちの希望を伝え聞いた地元紙のI記者(かつて北部支社に勤務し、現在は宜野湾支局にいる)が、取材を通じて親交のある宜野湾市基地政策部の部長さんに相談し、段取りをつけてくれた。そうして、宜野湾市が受け入れ窓口となり、基地政策部が随行して、伊波洋一・宜野湾市長をはじめ、普天間基地の騒音の最も激しい上大謝名区の津波古良一自治会長、一昨年8月、沖縄国際大学に墜落・炎上した米軍へリの破片が自宅を貫き、赤ちゃんを抱いて逃げた若いお母さんである仲村桂さん、の3人が案内するという超豪華キャスト、前述のように送迎まで付くぜいたくツアーが実現することになったのだ。

 3月21日にしたのは、週末は米軍の訓練も休みになることが多いため、こちらが休日で米軍の訓練が行われるであろう日を選んだつもりだった。しかし、これだけは見事に思惑がはずれてしまい、私たちの宜野湾滞在中、輸送機が1機飛来しただけで、ヘリはまったく飛ばなかった。「10区の会の視察が怖くて訓練をやめたのかも」という冗談も飛んだが、どうやらこの日、北原防衛施設庁長官が来沖していたためらしい。このところ、沿岸案をどうしたら押しつけられるかを探るために政府高官の来沖が相次いでいるが、日本政府に実態を隠すなんて「インチキだ」と、みんな怒っていた。
宜野湾と名護の心はひとつ
 ヘリや戦闘機の騒音や爆音こそ体験できなかったけれど、宜野湾市の方々の生活実感に基づいた話は基地の恐ろしさを理解するに充分だったし、普天間基地撤去へ向けた宜野湾市の熱意、移設予定地住民に対する思いと暖かいもてなしは参加者に大きな感銘を与えた。

 普天間基地を一望に見下ろす嘉数高台公園の展望台で、「県外・国外移設」を求める市の姿勢を熱く語ってくださった伊波市長は、沖縄戦の最初の激戦地(戦闘員の52%が亡くなったという)であったこの高台のすぐ近くに生まれ育ち、今も住んでいるという。基地のフェンスにくっつくように人家や学校、病院などが恐ろしいほど密集している普天間基地の歴史的経過や、米軍ヘリの飛行が1日平均180回(03年調査)、1日200回飛ぶ日が1ヶ月以上を越えるという実態を説明し、「(基地のなかった)もとの沖縄に戻したい。県内移設反対は皆さんと同じ」と話した。熱心に聞いていた子どもたちは、市長といっしょに写真におさまって大満足だった。

 人家すれすれに設置された普天間基地滑走路の誘導灯を見たあと、雨が降ってきたので、すぐ近くの上大謝名公民館へ移動した。公民館には50人分以上と思われるお茶とおやつが準備され、1人ひとりに津波古自治会長が手渡してくださるのに感激。それをいただきながら津波古さんのお話を聞いた。公民館に設置された騒音測定器を指さしながら、彼は、670世帯1700人が住む上大謝名区の人々は、年間290回に上る基準値以上の騒音被害に苦しんでいると語った。「音による被害は住んでみなければわからない。外傷のように一目瞭然でないだけに、精神的・身体的な健康被害は余計に深刻だ。イライラして集中力がない、子どもたちの学力低下、肥満、睡眠時無呼吸症候群などが多く、宜野湾市民は他市町村と比べて短命だ」

 当初、沖縄国際大学のヘリ墜落現場(ヘリが激突して黒こげになった大学本館の壁は、多くの学生・教職員、市民の保存運動にもかかわらず、大学側が撤去してしまったので、現在はもうないが)で話してもらう予定だった中村さんも、雨のため急きょ、公民館に来ていただいた。「宜野湾市で生まれ育ち、幼い頃から、基地があるのが当たり前、ヘリが飛ぶのが当たり前と感じていたが、事故によって、それは異常な状態なのだと気づかされた」と彼女は語った。ヘリ墜落時の恐怖、危機一髪で生後6ヶ月の息子を抱いて夢中で逃れ、あとで自宅に戻ってみると、赤ちゃんを寝かせていた布団の上にコンクリートや割れた窓ガラスの鋭い破片が無数に散らばっていたという話を、参加した母親らは体を震わせ、涙を流しながら聞いていた。事故のあと、騒音にイライラし、事故の恐怖が戻ってくる苦しさを話しながらも「こんな苦しみを名護の人たちに味わわせてはいけない。名護に持っていくくらいなら、私たちがもうしばらく苦しむほうがましだ」と彼女は言った。

 宜野湾の思いと名護の思いが一つになった瞬間だった。渡具知智佳子さんは思わず立ち上がり、「ありがとう!」と言った。彼女も泣いていた。県民大会での訴えで、智佳子さんは「新しい基地に反対しているから、いつまでも普天間基地は宜野湾に居座り続けていることが申し訳ない。でも私たちだって基地はいらない」と語っている。心が一つになった感動とともに、両者にこんな苦難を強いている基地はなんとしても追い出さなければ、という思いをいっそう強くした。参加した子どもたちも、そんな大人たちの思いを感じ取り、また自ら多くのことを学んでくれたと思う。



 日米両政府は3月末までに米軍再編の最終決着をつけると言っていた。岸本建男前名護市長の死去(3月27日。62歳の若すぎる死だった。在職中の2期8年間、私たちにとっては抗議と批判の対象であり続けたが、基地問題をめぐる葛藤が彼の死期を早めたであろうことを思うと、胸に迫るものがある)によって、時期は若干ずれ込みそうだが、小泉首相を筆頭に日本政府は、市民・県民はもとより知事や名護市長の意向も無視して、文字通り「頭越し」に沿岸案を強行する姿勢だ。今後の成り行きは予断を許さない。
この文書は「信州自治研」2006年4月号に掲載されたものです。
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