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東海岸
10区巡り
「二見以北10区」って、どんなところ?

 沖縄島北部の中核都市・名護市の西海岸に面した市街地から、島を横断する国道329号線に沿って分水嶺を越えると、太平洋に面した東海岸が目の前に開けます。沖合のサンゴ礁に砕ける真っ白い波の花。その内側にエメラルドグリーンを湛えた波静かなイノー(内海)と常緑の山々に前後から抱かれ、同じ市域とは思えないほど静かなたたずまいを見せるこの地域は、1970年に1町4村が合併して名護市が誕生するまで、久志村と呼ばれました(現在は久志地域と呼んでいます)。

 深い山々から湧き出る水が小さな川となって海に注ぐところ、河口にできたわずかな平地にいつ頃から人が住み始めたのかはわかっていません。おそらくは海を渡ってこの地に初めて上陸し、ここを終の棲家と思い定めた人々の胸の内を想像するのみです。山懐に抱かれるように海沿いに点在する小さな集落は、そうして定住した人々が、耕地を開き、山に分け入り海に出て、ささやかな暮らしを紡ぎ、祖先神やムラの神々を戴いて、地縁・血縁を広げつつ、形作ってきたものです。

 80〜90年ほど前まで、深い山々に阻まれて陸路が発達せず「陸の孤島」であったこの地域の人々にとって、背後の広大な山々は制約であると同時に、クサティ(腰当て=守ってくれるもの)であり、また薪炭をはじめとする山の幸を与えてくれる大切な資源でもありました。ここから薪炭などの林産物を島の中南部へ運び出し、食糧や日用必需品などを運んできて交換するヤンバル船の時代は、戦後しばらくまで続き、水深のある大浦湾はヤンバル船の寄港地として賑わったのです。帆をいっぱいに張り、風を孕んだヤンバル船が、深い藍色を湛えた大浦湾を滑るように走る様を想像しただけでわくわくしてきます。
 また、目の前に広がるイノーは、耕地の少ないこの地の人々の胃袋を賄う海の畑、天然の冷蔵庫として恵みを与え続けてきました。畑に出ていても、潮時には必ず海に出て、歩けるようになったイノーで海の幸を得るのが習わしだったといいます。金銭的には貧しくても、豊かな自然、海と山の恵みに生かされてきたことを人々はよく知っているのです。
 
 島を焦土と化し、この地にも大きな被害をもたらした沖縄戦の直後、民間人収容所が置かれた大浦崎(辺野古崎とも言う)に米軍キャンプ・シュワブが建設された1950年代半ば以降、久志13区(集落)のうち基地を挟んで南側の久辺3区(久志・豊原・辺野古)と、北側の二見以北に岐路が訪れます。基地の被害も受けるけれど、「恩恵」も受けて基地経済で潤い、それを目当てに流入する人々で人口も増えた久辺3区に比べ、「恩恵」から取り残された二見以北は、いっそうひっそりと過疎化が進み、名護市になってからは、さらに拍車がかかっています。
 名護市の現人口は約5万9千人ですが、市域面積の3分の1を占める久志地域の人口はその8%の約4800人。うち二見以北は、10の集落を合わせても2000人足らず。地域が広いため小学校は4つありますが、軒並み統廃合の危機にさらされています。過疎につけ込んで、名護市の一般廃棄物最終処分場が二見以北に押しつけられたのに、今また基地まで押しつけるのかと人々は怒っています。過疎化・高齢化に悩み、何とかして若者たちを引き留める仕事が欲しいという地域の悲願に付け入る汚いやり方です。
 
 こんな地域に生きる私たちは、ここをこよなく愛しています。人殺しの基地ではなく、豊かな自然を活かし、海と山の恵みに依拠して、地域の未来を造っていきたいと願っています。10の集落は、小さくてもそれぞれの顔と味を持ち、そこでは個性豊かな人たちが、悪戦苦闘しながらも、それぞれの夢に向かって努力を重ねています。

 各集落や人々など、二見以北の魅力について、今後、一つひとつご紹介していくつもりです。お楽しみに。きっと来てみたくなるはずよ。
 
                             (文責・浦島悦子)

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